※この記事は、公益社団法人浦和法人会の会報第248号(2022年10月1日発行)に掲載されたものです。
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パラリンピックと車いす警備員の誕生
警備士・濱田久仁彦さん
「多様性と調和」を基本理念に掲げた東京パラリンピックから1年が経つ。障害者の人権尊重や社会参加は、1964年の東京パラリンピックが契機の一つとなって前進を始めた。
それから57年――。今大会のシンボルマークは、赤・青・緑の3本の曲線で表現され「スリー・アギトス」と呼ばれた。アギトスは、ラテン語で「私は動く」の意味。困難があってもあきらめず、挑戦を続ける強い意思を表している。
パラアスリートが限界に挑む姿は、多くの人の心を動かした。障害の有無など様々な違いを超え、誰もが平等だという思いも強くした。だが、共生社会へ向けた課題は今も多く残っている。動く。変革する。スリー・アギトスは、私たちの心にこそ変革を促しているのではなかろうか。
今大会。千葉県幕張の会場で、車いすの警備員が手荷物検査などを担当した。さいたま市大宮区に本社がある警備会社「ゼンコー」の社員、濱田久仁彦さんだ。全国警備業協会によれば、車いすの警備員は全国初という。
大会に向けて、私たちは共生社会を目指し始めた。多様性を尊重し、バリアフリーに取り組み、社会全体で理解を進めて未来への遺産とする試み。果たして、そのドアは開いたのか。濱田さんに聞き解こう。