再考『八ツ場ダム』 松浦茂樹・東洋大教授に聞く【2】

利根川中流部、八斗島付近。群馬県伊勢崎市と埼玉県本庄市を結ぶ坂東大橋

洪水時、川には最大でどれほどの水量が流れるのか。その時、ダムはどれほどの洪水を調節できるのか。上流に八ツ場ダムが計画されている利根川はかつて、中流部の埼玉県東村(現大利根町)で左岸堤防が決壊し、洪水が東京まで達して未曾有の被害をもたらした。カスリーン台風の大水害である。
日本の人口の3割が集中する首都圏にとって、利根川の治水対策は重大な課題だ。「治水」から八ツ場ダムを考える。その手がかりをテーマに、松浦茂樹東洋大学教授に話を聞いた。 (編集部 阿久戸嘉彦)

※この記事は、月刊RIVER LIFE(2009年12月号)に掲載したものです。

八ッ場ダムから治水の根本を見直す

利根川には古くから人の手が加えられ、堤防の築造や強化、川の拡幅や付け替えなどが幾度も行われてきました。こうした治水の努力は、今でもダムによる対策を含めて続いています。

国の直轄事業としての治水事業が利根川で始まったのは1900(明治33)年度で、その後、1910(明治43)年の大出水で計画が見直され、竣工したのは1930(昭和5)年度のことです。それから間もない1935(昭和10)年に利根川で大きな出水がありましたが、現在の埼玉県栗橋町から上流の利根川本流で破堤することなく流下しました。意外に思われるかもしれませんが、これは有史以来初めてのことでした。

続いて1938(昭和13)年にも再び大出水が発生し、増補計画が策定されました。このように利根川治水計画は、以前を上回る大出水、あるいはそれに基づく大水害が生じるたびに見直されました。実際に発生した洪水をベースに計画を定める方式を「既往最大洪水主義」と言います。

1947(昭和22)年、カスリーン台風による大洪水が発生。利根川右岸で破堤して未曾有の被害がでた(決壊口跡の碑。埼玉県久喜市)