戸倉ダム(群馬県片品村)建設中止
ダム問題と生きるまち
ダム問題を巡る新聞報道で忘れられない記事がある。埼玉新聞は03年12月7日付の1面で、水資源機構が群馬県片品村で建設中だった戸倉ダムについて、埼玉県が事業から撤退することを伝えた。最大の利水者である埼玉県が建設費の負担見送りを決めたことで、国は同月16日、建設中止を正式に発表。戸倉ダムは、国の直轄事業としては初めて着工後に建設が中止されたダムになった。
その4カ月後、建設現場の戸倉地区を訪ねた。スキー場の中腹に空いたトンネルとやりかけの道路工事、宙に浮いたまま放り出された周辺環境整備の工事現場が痛々しかった。
その後も幾度か戸倉地区を訪ね、戸倉ダム対策委員長だった萩原一志さんら多くの住民に話を聞いた。驚いたのは、地元が埼玉県の撤退を知ったのは、あの日の新聞報道だったこと。そして、それ以来、利水自治体の関係者が地元を訪れていないことだった。
萩原さんはダムを結婚話に例え、事前に何の相談もなく突然一方的に破談を通告するやり方への憤りを語った。だが、地元住民は撤退を決めた利水自治体に対して表立った行動を起こさなかった。
戸倉地区には利水自治体の費用負担による地元振興計画があり、すでに道路建設や温泉掘削などを進めていた。ダム中止決定後、下流都県はその支出に拒んでおり、地元振興事業に将来を賭けた地元としては利水自治体を無用に刺激したくなかったからだ。
「怒りはある。だか、爆発すれば戸倉の将来がなくなるかもしれない。ダムはつくる時も我慢、中止になっても我慢だ。一番辛いのは、この地元の思いが下流の人へ伝わらないこと」と切々と語った萩原さんの言葉が今も重く残っている。
ダム再考への手がかり
戸倉ダムは、利水者である自治体が相次いで撤退したことが引き金となって建設が中止になった。では、八ツ場ダムはどうだろうか。
計画から半世紀以上が経っても完成せず「無駄な公共事業の横綱」とも言われてきた八ツ場ダム。税金の無駄遣いをなくすことは大いに進めなければならない。例え重く苦しい決断を迫られても、高く評価されるものになるだろう。
だが、利水や治水の必要性がないことの説明や議論はどこに行ってしまったのか。効率や合理性からみた「中止ありき」の結論からでは順番が違う。
ダム問題を巡っては、そこに暮らす人々の思いや声を見逃すわけにはいかない。本誌創刊10周年を機に、地方紙が伝えてきた八ツ場ダムの姿を再録する。地域に根付いた地方紙ならではの視点から、八ツ場ダムをもう一度考えよう。水源地の声が都市へ、都市の声が水源地へ届くように。
※この記事は、月刊RIVER LIFE(2009年10月号)に掲載したものです。
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