再考『八ッ場ダム』 地方紙が伝えた10年【下】

水をたたえる八ツ場ダム。2020年3月にダム本体が完成した

非自民による政権誕生で、八ツ場(やんば)ダム建設中止が現実味を帯びてきた。大型公共事業の無駄をなくす政権公約を指示する機運が高まる一方で、地元には困惑が深まる。本誌がこれまでに収録した八ツ場ダム関連の記事は200本を優に超える。創刊10年を機に今号から巻頭特集で、地方紙が伝えた八ツ場の10年を再録する。地方紙の視点から、八ツ場ダム問題を再考する。(本誌編集部 阿久戸嘉彦)

※この記事は、月刊RIVER LIFE(2009年10月号)に掲載したものです。

政権交代で揺れるダム建設と中止問題

国が八ツ場(やんば)ダム建設事業を進めている群馬県長野原町。吾妻川に沿って走る国道145号線を行くと、そびえ立つ巨大な橋脚が見えてくる。地上高約70m、ダム完成後に湖上を通る付け替え橋だ。両岸の山では水没地区の住民が移転する代替地の造成工事が急ピッチで進んでいる。

昨年度末までに投入された事業費は約3200億円。その多くが、こうした道路や鉄道の付け替えと移転代替地の造成などの水没地区住民のための生活再建事業に使われた。

無駄な公共事業の見直しを進める政権与党。特に夏の衆院選で大勝した民主党がその象徴として八ツ場ダム中止をマニフェスト(政権公約)に掲げたことで、地元に困惑が広がる。

一方、総事業費4600億円のうち2842億円(一部国からの補助金を含む)を負担する首都圏の1都5県からも中止に対する批判の声が上がるなど波紋も広がっている。

建設が進む八ッ場ダム(2009年9月撮影)

八ツ場ダム報道の視点

本誌が八ツ場ダム関連の記事を初めて収録したのは、創刊された1999年の5月号。工事に伴う具体的な補償について協議する補償交渉委員会が水没地区で相次いで発足し、八ツ場ダム建設が正念場を迎えていることを報じる上毛新聞3月28日付の記事だった。

その2年後、2001年6月15日付で上毛新聞は、地権者代表でつくる八ツ場ダム水没関係五地区連合補償交渉委員会と国が用地買収価格などの補償基準について合意し、調印したことを報じる。八ツ場ダムが本格着工に向けて大きく動き出すニュースだった。

記事は、国がダム計画を通知して約半世紀が経過する中で、国の補償基準提示からわずか半年という短期間での「妥結」を伝え、住民の決断についてこう解説している。

「高齢化による将来への不安が決断を迫らせたことは否めず、さらに、旅館や商店の若手後継者たちの『将来に向けて一歩でも半歩でも先に進みたい』との切実な思いも見逃せない」

民主党がマニフェストに八ツ場ダムの建設中止を初めて盛り込んだのは05年9月の衆院選のことだった。8月17日付の上毛新聞は民主党群馬県連の戸惑いを報じている。県連がそれまで地元の意向などから建設に容認姿勢を示してきたからだ。

さらに、この衆院選後の同年12月、06年度予算の財務省原案で八ツ場ダム建設に356億円が計上されたのを受けて、上毛新聞は26日付でこう報じる。

宙に浮く「八ツ場ダム中止」民主、検証チーム機能せず。

記事は「党幹部の意向で建設中止をマニフェストに盛り込むことが明らかにされたのは、衆院解散直前の会合。反対を前提とした議論がされてこなかったことをみると、唐突で選挙対策の感が強い」とした上で、こう結ばれている。

「マニフェストに記したように事業の精査が中止の大前提である以上、建設の是非以前に議論の継続と内容の説明が課題に突きつけられている」